第6回 行政単位は小さいほど良い

私が住む信濃町は、人口が一万人に満たない小さな町だ。町の年間予算が約四十五億円というから、一般企業と比較しても中小企業の部類に入る。 そのため古くからこの町に住んでいる人は、町内どこに行っても顔見知りばかりだ。顔見知りになるのは住民同士ばかりではない。役場の職員、町会議員はては町長まで顔見知りとなる。町内でばったり役場の職員に会ったりすると「やあ、こんちわ。そういえば、あの件どうなったやぁ」「あ、あれね、あれは・・・・しといたから。またなんかあったら電話でもくんない。」というような会話が交わされる。
これは小さな町で、地域社会が狭いため、行政も身近であるが故の会話なのだ。行政の側も地域事情をよく把握している。「どこどこの誰々さんの家は、お年寄りが今まで一人で住んでいたが、去年の秋に亡くなって、今は空き家になっている筈だ。貸家にして良いか、また聞いてみるか。」というように。町の人口が一万人に満たないような小さな町だから、役場の職員とは顔見知りも多く、何かと便宜を図ってくれる。自分の意思も行政に反映しやすい。町民はどの職員が何を担当しているのか属人的に把握している。狭い社会であるが故の利便性なのだ。

飯綱山に懸かる雲が美しい

飯綱山に懸かる雲が美しい

これが東京や横浜のように大都市だったら、行政単位が大きくこうはいかない。私が信濃町に移住する前に住んでいた横浜市を例にとって見ると、一番人口が少ない西区で九万人以上の人口を擁し、一番人口が多い港北区で三二万人を超えている。ちなみに私は人口約二五万人の旭区に住んでいた。横浜市全体では三六八万人の人口だ。これでは住民が多すぎて行政サービスが行き届きにくい。

区役所の職員や市会議員と知り合いになることは滅多にない。ましてや区長や市長と知り合いになる機会など殆どない。区役所の職員は忙しさの余りにこりともせずに区民の対応をするし、区民と世間話をすることもない。これではどの部署に行けば自分の用件がたせるのかる分かりにくく、へたをするとたらいまわしにされかねない。ことほど左様に都会では行政単位が大きすぎて住民一人一人に目が行き届きにくく、人間関係が希薄だ。私が横浜に住んでいた二十年間に私が区役所に行ったのは、転入届の時と転出届の時、それと母が亡くなった時に年金停止の手続きに行ったぐらいしか記憶に無い。

しかし、信濃町に住んでから二年で、役場の職員一人と町会議員一人と知り合いになれた。日頃町の行政について持っている疑問をぶつけると、彼らは丁寧に答えてくれる。彼らは信濃町の様々なことを知悉しており、とても信頼できる人達だ。役場に行くことも頻回である。こちらに移住したての頃は、薪ストーブ用の薪を作るためにエンジン式の薪割機まで役場で貸してくれた。

このように行政単位が小さいと、住民と行政の関係が緊密で、行政は住民の意見を聞きそれに答えてくれる。もっとも住民の意見が政策に反映するかは予算との関係もあり話は別だ。それでも住民側からすれば、行政がより身近に感じられることは間違いない。行政単位は小さい程良いのだ。