第5回 田舎の人は純朴

田舎暮らしを希望する人が一番気になるのが、近所付き合いかもしれない。 つまり濃密といわれる田舎の人間関係だ。確かに都会に比べると人間関係は濃密である。道を歩いているとすれ違う人には近所の知り合いが多く、必ず「お早う」「今日は」等の挨拶し、そして「この前はご馳走様」とか「今度またお茶を飲みにおいでよ」と言葉を交わす。実際に近所の家でお茶をいただく機会も多い。 秋から冬にかけては野沢菜漬けが最高に旨い。

田舎の街並み田舎では、昔からの共同社会が今でも生きていて、お互いに助け合いながら生活している。近所の人は、我が家の前を通る時、いつも畑で取れた野菜や果物を「うちの畑で採れたんだけど、食べて」と言って置いていってくれる。年金暮らしの私にとっては経済的にも助かりとても有難い。 先日も真っ赤に熟れた採れたての苺をざるに一杯もらった。さっそく食べると、とても甘くみずみずしかった。家庭菜園をやっていない人でも、「もらい物だけと、おすそ分け」と言いながら野菜などをくれたりする。私の知り合いの移住者は、近所の農家のおじさんから「大根はたべるかね?」といわれて「食べます!」と答えたら一輪車に一杯の大根を持ってきてくれたといって驚いていた。そして、道具や機械が足りないと見ると、「おらち(俺のうち)にあるやつを使えや」と言って貸してくれる。私は薪ストーブに使う薪を準備するのにチェーンソーが必需品なのだが、今年の春自分で購入するまで知り合いの大工さんから暫くの間借りていた。

また、信濃町では、顔の表情がとても穏やかで、柔和な人が多い。人間は年とともに、その性格が人相に現れるというが、真にもっともなことで、ここに暮らしていると、そのことを実感出来る。年齢と共に深く刻んだ顔の皺、優しい目、朴訥とした話し方、いずれもがその人間性を端的に表している。私がこの信濃町に移り住んで丸二年経つが、悪意のある人に会ったことが無い。 子供達も人懐こい。私が朝ゴミ捨てに道を歩いていると、小学生達がすれ違いざまに「お早うございます」と、見知らぬ私に向かって挨拶をしてくれる。私も子供達に「お早う」と挨拶を返す。都会ではこのようなことは先ず無い。見知らぬ小学生に声でも掛けようものなら、痴漢か変質者に間違われかねない。

信濃町に移住してくる人に対して、町民はとても暖かく迎えてくれる。私の場合、組の集会があるときに、妻と共に皆の前で紹介してもらった。とても有難かった。他の人の場合でも、転入後に地域の人たちがわざわざ集まって歓迎会の場を設けてくれたところもある。新しい住民を迎えることは地域の人にとっても嬉しいようだ。空き家のままの家屋は夜になっても灯りが点かずもの寂しいうえに、安全上も好ましくないからだ。

青い水を湛えた湖、美しい山々、透明な空気そして純朴な人柄。信濃町における私の生活は、経済的には裕福とはいえないが何も不満は無い。

信濃町在住 荻原一正