荻原一正さん その1

私は平成20年3月末で30年勤務した職場を定年退職した。 定年退職に際し、先ず選択を迫られるのは、今までの仕事を辞めて地域社会で生きるのか、それとも今までの仕事を継続して嘱託職員として暫らく過ごすのかということである。 私は少々迷ったが、前者を選択した。 後述するように人生の黄金期である「林住期」を充実して過ごすにはゆったりとした時間の流れの中で、季節のうつろいに身を任せ、自然と一体となった生活こそが相応しいと考えたからである。 都会に比べて、田舎は春夏秋冬それぞれの季節が、よりはっきりと感じられる。

 春は花夏ほととぎす秋は月冬雪冴えて涼しかりけり

と曹洞宗の宗祖道元も詠んでいる。 夏は暑く、冬は思い切って寒いのが良い。

 という次第で、私はきっぱりと今までの仕事を辞めて地域社会で生きることに決めた。 五木寛之が著した「林住期」によると、インド思想に基づき人生を25年ごとに4つに区切る。  この世に生を受けてから最初の25年を「学生期」として、教育を受け社会で活動するための準備期間。 26歳から50歳までの次の25年は「家住期」として、社会に出て生産活動に従事し、家族を扶養し、子供を育てる期間。 51歳から75歳までの25年間は「林住期」として、家住期の成果を享受し、悠々自適に生活そのものを楽しむ人生の黄金期間。 そして76歳から最後の25年間は「遊行期」として、自分の死に場所を決める期間であるとしている。 この考え方からすると、定年退職後の60歳から80歳頃までの期間は林住期にあたり、家住期の成果を享受する人生の黄金期と意味づけることが出来る。

 ではこの林住期をどのように過ごすかが次の課題である。 生活を充実させるためにはいくつかの条件が必要となるが、その中で最も重要なのが社会的条件としての生活環境だ。 林住期に相応しい生活環境は、先ず静寂でなければならない。 青々とした木々に囲まれ、朝は鳥の声と共に起き、夜は虫の声を子守唄に床に着くというようなところがよろしい。 それには都会は不向きだ。 田舎に限る。

 ホトトギス自由自在に聞く里は、酒屋へ三里、豆腐屋へ二里

といった趣のところがよい。 ということで私は生まれ故郷の長野県の北信濃に中古住宅を購入した。 北信濃は飯綱、戸隠、黒姫、妙高、斑尾のいわゆる北信五岳に囲まれた雄大な景観に恵まれ、特に5月は百花一斉に咲き乱れ、桃源郷の如き場所である。 家の近くには渓流が流れ、森閑とした木々が林立している。 もっともこの地は、

 これがまあ、終の棲家か雪五尺

と小林一茶が詠んだように、冬場は雪が1メートル以上も積もるので、雪降ろしのことも考えなければいけない。 横浜暮らしでなまった我が精神と肉体とあいては、些か不安もあったが、除雪機を活用するという方法もあるので、何とかなると思っている。

261110

 物件選びには2年近くの時間をかけた。 インターネットで物件を物色し、現物を見に行くことも5~6回に及んだ。 こうして購入した住宅は少々傷んでいるため、修繕費はかなりかかってしまった。 住宅の修繕は近所の大工さんにお願いしたが、これは正解であった。 地元の大工さんはこの地方の気候風土を知り尽くしており、雪対策、水周りの凍結防止対策等を手際よく施してくれた。 この大工さんには現在も日常生活全般にわたって、何かと相談に乗ってもらっており、とても感謝している。 田舎暮らしには信頼のおける相談相手は不可欠としみじみ感じた次第である。